こんにちはオルガニックアンバサダーの室谷浩二です。
先ずは先日、京都で辻代表とお会いし夢をたっぷり聞かせて頂きました。
辻代表ありがとうございました。
さて、今回お届けする内容は、もうすぐ55歳になる私の”2度の心臓手術からの復活”を紹介したいと思います。
私は今年4月と6月の2度に渡り心臓手術を受けました。
遡る事2009年7月
この時、初めてレース中に不整脈が発症し、以後騙し騙しレースに出場してきたのですが、
今年3月の世界選手権予選以降、体調が悪化し手術を決断したのです。
私の不整脈はとても厄介でして、正常時の心拍は全く問題ないのですが、心拍が120bpmを超えると期外収縮が起き始め、そこから頻脈に移行するものでした。しかも不正脈の起源が特定できないというものでした。疑われた病状は心房粗動、及び心房細動、発作性上室性頻拍、他にもいくつかありました。
1度目の手術は執刀医に直接症状を伝えたい為、約5時間半、局部麻酔のみで起き続けていました。(これ正直堪えました)
心拍を強制的に上げる薬を何度投与しても発症せず、執刀医も諦めかけた矢先、右心房で心房粗動が発生。この起源を焼灼してくれましたが、不整脈は取れ切れませんでした。
しかも1回目の手術後、症状は更に悪化したため短期間で2度目の手術を決意。
約1カ月半後に再手術となりました。
2度目の手術も5時間半かかりましたが、(2度目は全身麻酔)左心房で心房細動が発症。肺静脈の4カ所を焼灼してもらい、また右心房の上大静脈にも起源が見つかり、その部位も処置をしてもらいました。
しかし、2度目の手術後も暫くの間は不安定で、3度目の手術も覚悟しなければならないと思っていたのですが、術後2週間を経過した辺りから徐々に安定し始め、現在(術後約60日)では復活に向けて普通にトレーニングが出来るまでになってきています。
2度の手術で要した時間は延べ11時間。
私は手術を決意してから現在に至るまで多くの事を学びました。
第一に、不整脈の症状と長く付き合ってきたからこそ分かった事があります。
それは自身の心臓の挙動に敏感になっていた事です。担当医も驚かれた事があります。
精密検査の一環で負荷心電図(トレッドミル)を測定している時でした。
健常者の誰でも持っている期外収縮という脈飛びは、普通自覚しない人が殆どですが、僕は負荷心電図を受けている最中、幾度となく「今きました」と伝え、期外収縮全てを自覚していたのです。この敏感さは不整脈と長く付き合ってきた中で培ったものだったのでしょう。その甲斐もあってこれまでレースで発症しそうになった時はレースを棄権したり、練習で発作が出るとすぐに中止してきたため大事に至らなかったと思っています。
第二に「病は気から」とよく言いますが、症状が悪化したり、術後も不安定な日々を送っているとネガティブな方向に傾いていくものです。これは身をもって体験しました。
でも、「絶対に復活してみせる!自身の治癒力を信じよう」と言い続け、決して下を向くことはせず、積極的に上を向くようにし、外では極力空を眺める様に努めました。
その甲斐もあって今があると確信しています。
第三に普段当たり前の事として無意識に生きていた”健康である事の大切さ”です。
これは身をもって体験しないとなかなか実感出来ないものだと感じましたね。
日々健康でいられる事だけでも”幸せ”という事を、常に意識し生きていきたいと思えるようになりました。
第四に今回の経験は「絶対に無駄にしてはいけない」という事です。
2度の手術に要した3か月の時間はもう戻ってきません。時間は無限ではなく有限です。これからは1日1日を更に大切にしていきたいと感じられた事も学びのひとつになっています。
最後に面識もない方々が体験談をメールしてくれて随分と励ましてくれたことです。
その他にもスポンサー様、チームメイト、全国の仲間、友人 家族、医師やスタッフの皆さんが支えてくれたお陰で克服出来たと思っています。
2度の心臓手術を受けた50半ばのアマチュアトライアスリートが、トライアスロンの最高峰レース ハワイアイアンマンに再び挑戦しようとするのは、過去に例もないでしょうし今後も僕一人でしょう。
これからは僕が同じような病気で悩まれている方々に、少しでも勇気を与えられるようになりたいですね。
そのためにも上述の内容を忘れる事なく、チャレンジし続けていきたと思っています。
*最後に前回のレポート
http://www.organiq.jp/blog/?p=619
で「自分に敏感なる」という記事を書いていますが、
この内容は自ら体験出来ている事を付け加えておきたいと思います。
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【ライター】室谷浩二
http://www.organiq.jp/blog/?p=399